2020年06月15日

抱朴子 序文

こちらからつづきです。


DSCN9363_R.JPGDSCN9364_R.JPG

まあ書きにくいが。。。抱朴子。Wikiなどもみてみてください。万葉集にも引用があるそうです。


DSCN9365_R.JPG

序です。


DSCN9366_R.JPG

「わたくし葛洪(かっこう)は、生まれつきとびぬけた才があるわけでもない上に、たまたま「老子」のいわゆる無為の道が好きだった。だから、」

「そこで私は出世の道には望みを絶ち、貧窮の境涯に甘んじることにした。あかぎ・豆の葉の汁にも八珍の味があり、よもぎの戸・いばらの門にも数奇をこらした美邸の安楽がある。それで権力者の家には、目と鼻の先でも行かない。道を知る士のところには、いくら遠くても必ず訪れる。」

「今までに読んだ珍しい書物、その数は少なくない。大抵隠語が多くて俄には理解しにくい。」


「今、この書物を著して、あらあら不老長生の筋道を示す。最も微妙なところは筆紙には述べられない。ざっと概略だけを述べ、一端を示したつもりである。」

「後世の不良長生を志すひとにとって、この書物が迷いの雲を晴らす助けになれば幸いである。信じない人に信じてくれと頼むつもりは毛頭ない。
 右、謹んで序文とする。」


 Wikiによると317年の本の書物です。


 。。。。もちろん、ブッダの話を知っている我々には。。という面はあるのかもしれないが、現実「期間限定の常見すなわち少欲知足には」「かなり妥当だろう」ことに。。自分は、

 「それで権力者の家には、目と鼻の先でも行かない。道を知る士のところには、いくら遠くても必ず訪れる。」

 この生き方が気に入っていた。

 お釈迦様の話に「権勢のあるものには近寄らない」という正令があるそれにも逆らうこともない。

 と。。かつて。。この本を手にとり、一度捨てて。。また書い直した。

 昨今。。すこし得たものもあったので、こちらのブログにすこしだけ書こう。



 それはともかくとして。。この話は。。いちおう。。「心の中はどうなってるの」の基本心所(共一切心心所)、悪心所を確認したうえ、すくなくとも善心所の。。信をなにがしかで得てないと。。追い落とされるかもしれない。

 そうして、自粛心所の、正語、正業(体のうごき)は確認したうえで。。。


 正命、という検討です。長老は「要するに仕事のことです」と言われてる。。生き方ですかね。。

 そこに先の「それで権力者の家には、目と鼻の先でも行かない。道を知る士のところには、いくら遠くても必ず訪れる。」をあてて、二重螺旋を整頓しようと内容です。

 ところが。。真似はただの慢、同等慢で「欲で失敗する」のであり。。

 しかして、自粛心所にとらわれることなく、無量心所を検討すべきだろう。

 そして、そのあと、そのとき、ここに語られる「不老長生」もまるで岩山が崩れるように霧散して、消え失せることになるかと思われる。






posted by mon at 12:55| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: